自転車専用レーン
- 自転車専用レーン
- 18日の朝にはなくて、夕方にはあった。
- レーンの中を歩いていたり、レーン以外の所を自転車が走っていたりして、走りやすくなったのかそうじゃないのか微妙。
- このレーンを一番活用しているのは小学生。この線を使っていろいろと遊んでいる。
以下は、土曜日のピクトチャットの考察。
週末に、幼稚園に通う娘とNintendo DSでピクトチャットをしながら仕事をしてみた。
娘は私に対して、「遊ぼう、遊ぼう」と一生懸命懇願するものの、私はちょっと片づけなければならない仕事があってそれができない。せっかくの休みなのになかなかかまってあげられず、私としても心を痛めていたのだが、「そうだ、DSのピクトチャットが使えるかもしれない!」と閃いた。ご存じのとおり、ピクトチャットを使うと、DSの無線通信で遠隔のユーザーと文字を書いたり絵を描いたりして送受信できる。
今、娘は一生懸命ひらがなを書けるようになろうと頑張っている。そこで、ひらがなの練習を、DSのピクトチャットを使って遠隔でしてみよう、と思ったのだ。娘にはDSを持って隣の部屋に行ってもらって、私の部屋にはもう一台のDSを机に置いておく。そしてピクトチャットで接続。
「まず、「あ」を書いてごらん」と言って、私はすぐに仕事に取り掛かる。しばらくして、娘から「お」が送られてくる。「送ったよ!」と言われたので「採点するね!」と返事しつつも仕事はし続け、きりのいいところで返事。「んー、惜しいな。まずこう書くんだよ、」と言って、2画目まで書いて送る。そしてまた仕事に取り掛かる。娘は頑張って2画目まで書いたものを送り返してくる。「ナ」になってる。
再び「送ったよ!」と言われたので「採点するね!」と返事しつつも、やはり仕事はし続け、きりのいいところでまた返事。「こう書くんだよ、5回書いて送って!」と言って、また仕事に取り掛かる。
「こう書くんだよー」と、3回連続で送ってやったら、「キャッキャッ」と隣の部屋で笑ってる。どうやったら喜ぶかいろいろ実験しながら、返し方を研究。紙と鉛筆で机に向ってやってる時は、なかなか集中しないくせに、こうやってインタラクティブに練習したら、すげー集中力を発揮。しかも喜びながら。
普通に仕事をしながら遊ぶのはなかなか難しい。意図しないところで仕事が中断してしまうので、復帰するのに時間がかかるからだ。しかも、ちゃんとかまってあげられないので、娘としてもうれしくない。
しかし、ピクトチャットだと、非同期的な会話が成り立つ。非同期に返答できるということは、同時に作業している思考の邪魔をされずに、自分のタイミングのいいところで対応できるということだ。したがって、作業に復帰するのがそんなに負担にならない。しかも、娘としては顔が見えないので、送り返すタイミングさえつかめれば、ちゃんと遊んでもらえている、という感覚になるみたいだ。
いやー、我ながら名案だった。ピクトチャットは近くの人と非同期に何かをやりたいときにぴったりなメディアだなーと思った。もちろん、仕事が終わったらちゃんとリアルに遊びましたよ。
昔、NIFTY-SERVEというパソコン通信があった。そこに行けばほしいと思ったあらゆる情報が得られた。たとえば「Delphiについて知りたい」と思えば、Delphiのフォーラムに行けば良かった。今のようにバラバラに散らばったWebサイトから検索する必要もなく、決められた場所にすべての情報が蓄積されていた。私は今のインターネットとNIFTY-SERVEの一番の違いはそこにあると思っている。
その違いを生んだもっとも大きな要因は、NIFTY-SERVEでは自分のコンテンツが持てないという制約にあると考えている。不特定多数向けに何かを発信したいと思ったら、フォーラムの会議室へいって発言するしかなかった。だから情報が分散せずに一か所に集まる。しかも会議室は自分のものではなく、みんなのものだ。ひとつの場所をみんなで育てるという意識が生まれていた。いろいろな人々の発言が、一つの会議室の中でツリー状につながって表示される。その発言の流れを後から来た人がわかりやすいようにツリーを工夫するルールができたりもしていた。
さらに、NIFTY-SERVEでは、実名主義で発言をする人たちが多かった。自然と責任感も生まれ、雑多な情報は少なくなり、本当に濃い情報だけが書き込まれるような文化ができていった。
Yahoo!がCUというビジネスネットワーキングサイトを立ち上げた(http://cu.yahoo.co.jp/)。まだまだ始まったばかりで機能がほとんどないこともあるが、使い方がわからないという人が多く、「CUの楽しみ方がわからない」というコミュニティが出来上がるほどである。
実際、私もちょっと使ってみて、よくわからなかった。日記を書けるわけでもなく、自分のページで何かを発言することもできない。スケジュールを書くことができるが公開されるわけでもない。不特定多数に何かを伝えたいと思ったら、コミュニティで発言するぐらいしかすることがない。
しかし、しばらく使ってみて、ハッと気づいた。これはまさに、NIFTY-SERVEそのものじゃないかと。今は自分でコンテンツを所有することに慣れている人がほとんどだからものすごく違和感を感じるのかもしれないけれど、発言する場がコミュニティしかないというのは、まさにNIFTY-SERVEのフォーラムと同じだ。しかも、CUでは実名を明かすことがルールになっている。
名前は実名、特定の人との会話はメッセージを使い(メール)、日記やブログはなく、不特定多数への発言はコミュニティ(フォーラム)のトピック(会議室)でしかできない(括弧内はNIFTY-SERVEの用語)。まるでNIFTY-SERVEようなパソコン通信時代の文化をインターネット上で実現しようとしているかのようだ。
CUは、「ここにいけば欲しい情報がある」という状態を作り出し、みんなでビジネスに必要なコンテンツを育て上げるという文化を作りたいと意識的に思ってわざと制約をかけているのだろうか。blogやSNSにより人々のコンテンツの所有欲が満たされた代わりに、情報が分散して検索サービスが必要になったが、CUは検索を必要としない情報の送受信を実現しようとたくらんでいるのだろうか。だとしたらこれは侮れない。今後、どのようなサービスを展開してくるかが注目したい。