2008年7月2日(水)

[思索]酔っ払いが梅田さんにトラバするぞバカヤロ

ちょっと今日は会社帰りに飲んで酔っ払った。酔っ払いがブログ書くとどうなるか面白そうだな、ぐふふって思ったから、ちょっと書いてみるぞ。しらふになって反省してる自分が面白そうだな、あはは。

ネタは、これだ。

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20080629/p1

要するにな、梅田さんは「世界を変えようと思っているヤツ以外はこんな日記を見るんじゃねぇよこのくそバカヤロ」のつもりだと思うんだ。だけど立場上、そんなことは書けないんだ。だから、そのくそバカヤロがいろいろと批判しても、痛くもかゆくもないんだ。無効だ、そんなのは。書きたきゃ書け。勝手に書け。己は人口の10%から20%の人間なのかだ、重要なのは。

このネタの中で、酔っ払いの俺が「これはすごい」と思ったところを淡々と引用して、自分の意見をたれるぞ。心して聞け。

自己責任と情熱

ところで「無制限に選択肢があると何も選べなくなる人が人口の80%から90%いる」という仮説があります。

この真意は、逆に、これから俺は、その人口の10%から20%に向けて話をするんだ、という前置きだ。無制限に選択肢があるときに、その選択を自己責任で下せる人に読んでほしい、そういうことだ。

今という時代は、そういう自己責任で前に進める人にとってはパラダイスだ。ものすごい環境が待っているんだ。だから、その10から20%の中に入らなきゃ、はっきりいって損だぞ。そこに入るという覚悟ができたヤツには、この梅田さんの日記は、どこぞの書籍よりもものすごい価値を見出せるはずだ。俺もその一人だ。この時代認識を持てるヤツは成功する可能性が非常に高い。自分の人生を変える、世界を変えるような決定に対して、責任をもてるヤツが、この時代では成功するんだ。これはここ数年以内に起業して成功した人などの自叙伝を読めば、ほとんどの人に共通していることがわかるはずだ。

責任を持つためには、それだけの動機がなけりゃならない。その動機は、人それぞれだろう。お金持ちになるため、ちやほやされたいため、名誉を得たいため、コミュニティを創造したいため、世界を変えたいため、いろいろあるだろうけどさ、とにかく、これをやらなきゃ死んでも死にきれねぇんだよ、っていう、アッツい情熱がなければだめだ、俺はそう思う。

ソレがあれば、そんな責任なんて、へでもないはずだ。そういう情熱をもてるかどうかが、10から20%に入れるかどうかの分かれ目になるはずだと俺は考えている。

自分の時間を無駄にされたことに怒れ!

これは、非常に同意できる。ものすごくうなづいてしまった。

僕は、自分の時間が無駄に使われるということに対して、若いころから強い怒りを覚えていました。

僕がほかの人と恐ろしく違うのは、その部分です。今思うと、そのことが道を拓いてきた気がする。つまり、コンサルティング会社に就職して、上の人に言われるままにやれば、評価されるかもしれないし、給料が上がるかもしれないけれど、僕の場合は、「ここで自分が今時間を使っていることが全く意味がないことである」と思った瞬間に、体が動かなくなってしまう。

これなんだよ、これ。たとえば自分が今、30歳だとして、定年の60歳までそこで働き続けるとしたらさ、自分の人生の貴重な時間であるその30年間、すなわち1万日ちょっと、時間にすれば26万時間ちょっとという時間を、会社に貢ぐわけだよ。その貴重さがわかれば、自分の時間が無駄にされていることに対して、怒りを覚えるはずなんだよ。命をささげているわけだよ。自分の命を無駄に使われているわけだよ。そんなのはね、絶対許しちゃいけないよ! このことを、サラリーマンはちゃんと考えるべきだ。家族のために働いているんだとか、それ以前の問題なんだよこれは。

僕が言いたいのは、「やりたくないことをやるな」ということでなくて、「意味のないことをやる」ということに対して、緊張感をもって生きる、そういう姿勢を持つべきだ、ということです。

意味のないことというのは、誰にとって意味がないのか、というのはちゃんと考えたほうがいい。自分にとって意味がないことなのか、会社にとって意味のないことなのか、人類や世界にとって意味のないことなのか。このスタンスはあらかじめ決めておいたほうがいい。俺は、世界だ。世界の人類にとって意味のないことはやりたくない。俺にとって無駄な時間は1秒たりともない、そういうつもりで今を生きている。

ようするに、自分は何のために生きているか、自分の存在意義は何か、これを明確にするんだ。つまり、使命ってやつだ。これがない人生は、非常につまらん。流され続けるだけの受身人生だ。ソレでもいいという人は、ソレでもいい。しかし、せっかくこの世のこの時間に生を受けたという貴重な体験をしているのだから、できることをやらなきゃ損だよ、と俺は思う。

情報を持つことは、もう、価値ではない

あと、大企業に勤めていると、こういう人にものすごく悩まされる。

よく、情報を頭にいっぱいつめこんで、自分はこんなに頭がいいということをひけらかす人がいますが、そんなものは、グーグルに必ず負けるのだから、それに価値はない。情報を得る力を、何のために使うかと言ったら、自分の時間を正しくつかうためです。

そう、価値はないんだ、そんなヤツには。昔は情報を持っていることが価値だった。しかしいまやグーグルが万人に共通に情報を集めてきてくれるんだから、情報を持つことは価値じゃないんだよ。しかし、それでも懲りずにやたらと情報を隠すヤツがいる。アホか。それは自分の活動範囲を狭めるだけの効果しかない。

もう今の時代は、密室で何かやるという時代ではないんだ。たくさんの叡智を集めて、活用していく時代なんだ。顔も名前もわからない人たちが、自分のために情報を貢いでくれるんだ。ソレを利用しない手はないし、自分もその一人にならなきゃならないんだ。そうすることが、回りまわって自分の価値になるんだ。みんなそれに気づけ。

自分の時間は1日24時間しかないが、100人の叡智を集めれば、自分の時間は1日2400時間、いや、それ以上になるんだ。時間がないと愚痴を漏らすやつは逝ってよし。それは、自分の情報活用能力がないということをあからさまに明言しているだけで、まぁはずかしいったらありゃしないんだよ。

世界を変える

日本をダメにしているのは、政府でも官僚でもない。これなんだよ。

結局、つきつめて、つきつめて、ここシリコンバレーは何だといったときに、ここにあるのは「世界を変える」というビジョンあるいは「狂気」です。それがなかったら、グーグルみたいな会社は、こんなに大きくなっていない。ジョブズは、「Silicon Valley is all about changing the world.」のあとに、「It’s all about changing the world」とリフレーズして、「for the better,」(世界をより良い方向へ変える)と言う。こういうふうに言うと、日本では、誰も話を聞いてくれなくなる。新興宗教ですか、とか、自己啓発セミナーですか、とか(笑)。そういうことをシニカルに言う人が主流です。若い人たちでも同じです。

こういうことを言う人は、ものすごく損をしてるんだ。本人は気づかないかもしれんが。宗教を信じる、信心を保つというのは、ものすごく厳しいことなんだ。これは、やってみなきゃわからない。なぜならそれは、自分の信念を保ち、貫けるかにかかっているからだ。どんな迫害を受けようとも、他人に流されない自分を保てるかということなんだ。「世界を変えてやるんだ」ということを、大真面目に、信念を持って話せるかどうかなんだ。しかし「世界を変える」と言ったときに、ソレに対してポジティブな反応を返せるヤツが非常に少ない、これが問題なんだ。

だから、俺は、どんな宗教であれまたは無神論者であれ、自らの意思でその理念を貫ける人を尊敬する。「宗教ってヤバイから。。。」そんなことを言っているやつは、国際社会の中で信用されない。このことは、俺が国際学会に発表しに行って懇親会などでいろんな国籍の人たちと研究を抜きにして話している中で最も感じたことだった。そういう意志を貫ける人同士であれば、宗教が違えど「世界を変える」と言ったときに、まじめに、真剣に取り合えるんだ。そういう文化のうえに、次世代のテクノロジーやビジネスが生まれてくると、俺は信じている。

そして、その結果として、本当に、世界を変えることができれば、こういうことが言えるんだ。

明らかに世界は「良い場所」になっているよ。

これまでは大金を持った大きな組織の人たちでなければできなかったことも、個人ができるんだから。── スティーブ・ジョブズ

こんなことを言うことが心から賞賛されるような文化をつくろうよ、そうじゃなきゃ日本はおしまいだ。世界を変えるイノベーションなんて生まれやしない。あいつが表彰されるなんておかしいとか、俺より若いのにちやほやされてうぜぇとか、そんなヤツが日本をダメにしているんだ。批判、嫉妬が日本をダメにしているんだ。もっと、他人を誉めろ。心から応援しろ。ソレが最終的には自分のためになることにはやく気づけ。みんなお子様なんだよ、ったく。

重要なのは金じゃない、志だ

ジョブスが、

and if you do that, you can be incredibly successful economically.

という。これは、金に目のくらんだ人を惹きつけるための文句に過ぎない。ジョブスは金のためには働いていないと俺は信じている。世の中を良くしていくことに、金以上の価値を感じているはずだ。その志が、金よりも重要なんだ。志ひとつで、金に対する欲望よりも、世界を良くしていくことに対する欲望が勝るんだ。要は己が信じる道を自己責任で貫けるかなんだ。金を目的にすると、とたんに金が集まらなくなる。金を目的にしなければ、必要なときに、そして、その決断が正しかったときに、勝手に金は集まってくる。だからもう一段高い欲求を持つべきなんだ。

関係ないけど、そういう意味で、金は集合知の数値化だと、最近、なんとなく思っている。

自分を持て、自分を信じろ

大企業に勤めていると、個が埋没する現場を何度も見ることになる。自分もそうだった。会社に入る前はあんなに活躍していたのになぁ、とつい愚痴をこぼしてしまう。しかし、それは会社が悪いんじゃない。自分が悪いんだ。

絶対にコモディティ化しないのは、個の固有性だけです。その固有性を競争力のある状態にしていくことに、どれだけ意識的に生きていくか。これは「勤勉性」とは別のことです。頭がいいとか、勤勉であるとか、ずっと長い時間働いているといったこととは、違う軸の話です。

この意味が本当にわかれば、会社のせいにはできないはずだ。実は、俺は2,3年前は、いつベンチャーに転職しようかと、何度も考えていた。しかし、あるとき、ソレは逃げでしかないと気づいた。

君たちの時間は限られている。

その時間を、他の誰かの人生を生きることで無駄遣いしてはいけない。

ドグマにとらわれてはいけない。

それでは他人の思考の結果とともに生きることになる。

他人の意見の雑音で、自分の内なる声をき消してはいけない。

最も重要なことは、君たちの心や直感に従う勇気を持つことだ。

心や直感は、君たちが本当になりたいものが何かを、もうとうの昔に知っているものだ。

だからそれ以外のことは全て二の次でいい。── スティーブ・ジョブズ

この、「心や直感」の声を、自分は聞けていなかったんだ。その声に本当に耳を傾けることができたとき、自分のやるべきことは決まった。数年前、俺は梅田さんに「5年以内に会社を辞めようと思っている」と言ったら「君は、辞めないと思うけどね」と言われてしまった。その意味をそのときは分からなかったけど、最近になってやっと分かるようになった。

俺は日本人なら誰でも知っている企業の研究所に勤めている。しかし少し前までは、その場に未来を感じなかった。何をやるにしても遅すぎ、ベンチャーにどんどんと先を越されるからだ。これが重要だと上司を説得しても、なかなか理解されない。だから、すぐに自分のやりたいことができるベンチャーに転職したいと本気で思っていた。

ところが、心の持ち方を少し変えたら、実は、これ以上ないぐらい恵まれた環境にいることに気づいた。自分が少しの責任を持てば、いくらでも金は動き、いくらでも会社の中を変えることができ、いくらでも世界を動かせることに気づいたのだ。結局は、その責任を取りたくない、その決断を下す勇気がなかった、それだけだったのだと気づいた。

その原動力は、その責任をとっても有り余るぐらいの信念に他ならない。それは、自分の「心や直感」以外の何者でもない。

この世の中、やったもん勝ちだ。

情熱を持て、信念を持て、使命を自覚せよ、環境のせいにするな、真剣になれ、勇気を持て。

酔っ払いの戯言を聞いてくれて、ありがとう。

もう寝るね。おやすみ。